ハーモニーなポリフォニー

メンタル系の仕事してます。備忘録や文章を書く練習として使えたらと思います

prejudiceとpostjudice、差別について

Prejudiceとは、「特定のグループに対して、経験や事実に基づかないで特定のイメージを持つこと」

Postjudiceとは、「特定のグループに対して、経験や事実に基づいて特定のイメージを持つこと」という意味なのです。

実は現代社会における「特定の集団に対するイメージ」と言うのはほとんどがPostjudiceなんです。

という文章をQandAのサイトで読みました。

 

これは、自分が思うことですけど、例えば、採用面接とかでのPostjudiceの仕方に、統計的にこの属性を持つ人はおそらくこういう人だろう(この人は女性だから途中で退職するリスクが高いみたいな)という統計的差別(「安心社会から信頼社会へ」という本で見つけました)、帰納的に導出されるみたいな、と言葉の定義から演繹的に導出される差別?の2つあると思うんです。

 

わかんないですけど、差別をなくすのは、大事やと思いますが、統計的に導かれてるステレオタイプそのものは中性なのかな?(良くも悪くもない)とかも思ったりする。人を傷つける悪い感情とくっついてるステレオタイプにさらされて嫌な気持ちになるような気もする。自分のいるコミュニティの人が信頼できる人だと、自分のもつ社会的なアイデンティティに対するよくないステレオタイプがあったとしても気にならない気もする。

ステレオタイプの科学を読んで

今日は、ステレオタイプの科学という本を簡単に読みました。

要約

・差別的行動が社会からなくなったとしても、その人の性質を決定づけるステレオタイプさが人の意識と行動に影響を及ぼすということ

・人間は様々なアイデンティティを持っていて、ポジティブ、ネガティブ含めて様々なステレオタイプにさらされている。ステレオタイプをなくすのは難しい。でも、ステレオタイプ脅威の影響力を小さくするためにできることの一つに、社会や集団の文脈に生きるのではなく(生きさせられるのではなく)自分自身の希望的なナラティブを構築することでステレオタイプ脅威を縮小できる。ステレオタイプ脅威のきっかけになるサインを取り除くことも有効

Dunnの感覚処理モデル

科学から理解する自閉症スペクトラムの感覚世界の70pのDunnの感覚処理モデルを読み進めました。

 

学んだこと

  • ASD者の感覚特性が閾値が高いか低いかといった神経学的な側面と刺激に対しての調節機能が受動的か能動的かといった行動学的な側面から4つの側面を捉えられるとDunnは提唱した。
  • 4つの側面にはPoor Registration(高閾値、受動的),Sensitivity to Stimuli(低閾値、受動的),Sensation Seeking(高閾値、能動的),Sensation Avoiding(低閾値、能動的)がある。
  • 従来は感覚過敏を表す用語としてhypersensitivityが使用されていたが、近年ではhyperreactivityやhyperresponsivityという用語も使用されるようになってきている

 

”感覚探求は、刺激に対する閾値が高いことで知覚印象が弱いとき、一定の刺激を受容することで神経の反応を安定させるための自己調節機能として、飛び跳ねたり、何かをつぶやいたりする行動を表します。感覚回避は、刺激に対する閾値が低いことで強い知覚印象が生じたときに、過剰な神経の反応を抑制するための自己調節機能として、その場を離れたり、耳を塞いだりとった行動を表します。”

「科学から理解する自閉スペクトラム症の感覚世界、井出正和、p73」

今までは感覚過敏と感覚鈍麻が一人の自閉症スペクトラム症者の中にともにあるというのがなんでなのかよくわかってなかったが、Dunnの感覚処理モデルを学んでみて刺激に対する閾値が関係していると知れて少しは理解できた気がしました。

またこの本の後半部分で不安が増すと刺激に対する時間分解能が増えて感覚過敏をより感じやすくなるという実験結果が書かれていたのが興味深かった。心というか感情的な側面が苦痛を感じるといった身体的な側面とリンクしあってるというのは当たり前の話かもやけどこのような知識があるだけで自閉症スペクトラムの特性が悪く出ないように事前に本人が不安にならないように行動的な側面だけでなくメンタル面でも支援していく大事さを教えてくれます。

感覚過敏や感覚鈍麻にしてもずっとそういうわけではなく、その時その時の状態によっては感じ方や反応の仕方が移り変わるということを考えると特性は静的で固定されたものではもしかしたらないのかもしれないとか思いました

自閉スペクトラム症の知覚機能について

「科学から理解する自閉スペクトラム症の感覚世界」という本を少し読み進めました。

 

今回、読んだ中で定型発達かASDかの違いは外界を効率的に捉えるのか、正確に捉えるのかといった方略によって生じた違いだと考えられるらしいです。

 

発達障害についてあまり知らない人にとってはASD者の知覚機能が定型発達者の知覚機能より劣っていると思ってしまう人もいるかもしれませんがそうではないです。以下のような文章がかかれていました。

 

”定型発達者の知覚の特徴は、外界を効率的に捉えることを優先したために、その物理的な状態を正確にとらえられてないのに対し、ASD者の場合は効率性が低いものの、物理的な外界の状態はむしろ正確に捉えられているという点を指摘することができます。”

「科学から理解する自閉スペクトラム症の感覚世界,井手正和,p53」

 

こういう知識があるだけで、社会や職場での発達障害ASDの方にとって生きやすい世の中になるような気がします。

 

ASDのスペクトラムの2つの意味

科学から理解する自閉症スペクトラム症の感覚世界という本の中で気になったところを読んで見ました。

気になったところを引用します。

 

自閉スペクトラム症という表現は、同じ症状の中にも異なる波長の光の成分が含まれる虹のように、個人の症状は多様な側面を含んでいて、それらが集まることによって一人の当事者の症状を形作っているという意味合いがあります。」

 

「科学から理解する自閉症スペクトラム症の感覚世界,井手正和,p11 」

 

私は、自閉スペクトラム症スペクトラムの意味は症状の程度がスペクトラム(連続体)になっているとの意味だと思っていた。だけどこの文章が書かれていたスペクトラムの2つの意味という節に書かれていた内容からどうもそれだけでもないらしい。

自分なりに思ったのは、症状の程度がスペクトラムになっているということと、同じ自閉症スペクトラムという言葉にしても個人個人によって多様な症状がありうるという意味だと思った。

症状の程度のスペクトラムが量的な問題で多様な症状の側面が質的な問題とも言えるのかなとか思った。

似た症状があるから共感するだけでなくて、自分には今は理解できなくても対話する中で想像で理性で理解してあげれるようになりたい。

 

 

 

 

 

発達障害とわかりあえなさ

グレーゾーンの人もグレーゾーンではない人も診断名がつくと同じ言葉で例えば、発達障害と診断受けましたと自分を説明する場面もあると思う。けどなんというか障害の中にも様々な色があると思うから診断名を伝えるだけではわかりあえなさを感じる。逆に向こうがどう思うのかがわからないからこそ、不安も大きい。障害という言葉である以上、変わらないものみたいなイメージはあるけど、全くそうだとは思わないかも。

障害をわかってくれたからわかってくれてると思うより自分という人間をまず知ってもらうことが大事だと思う。それで理解されなくてもそのわからなささえも価値に変えていきたい。

発達障害と診断されてからの支援や治療にはどのようなものがあるか?

  • 薬物療法では、例えば、ストラテラなどが使われるが、あくまでも補助的なもので、発達障害の特性自体の改善に直接有効なわけではありません。薬物療法を使うのは、主に二次障害に対してとなります。
  • 環境調整では、個々の発達障害の特性に合わせて環境を整えます。例えば、忘れ物がないように次の日学校に持っていく物リストを作り、親子で一緒に確認する、授業中にさまざまな刺激を受けにくい席にする、などの対応が考えられます。
  • 心理教育では、発達障害の特性を学び、発達障害についての自己理解を深めます。
  • 心理療法
  • 自助グループへの参加とは、発達障害の当事者グループに参加することです。
  • ソーシャルスキルレーニングとは、実際の会話の場面を想定し、話してみる訓練をすることです。